
富岡鉄斎が描いた三条市の伝統行事「三条まつり」の奴の絵
創業当初の事柄は、さすがに定かではありませんが、明治十一年(1878)九月に明治天皇北陸御巡行。
同二十九年、小松宮殿下。近年に高松宮殿下が、それぞれご昼食をおとりになりその折々の「御献立」が記し残されています。
また「二州楼」名付け親・鉄斎の訪れをはじめ天下の文人・墨客の来訪相つぎ、鉄斎は扇面に三条まつりの奴の絵を。さらに天保十二年(1842)生まれという長谷川嵐渓の「衝寒来酌之図」なる軸も往昔を伝えております。
なお当主は十代目を継ぎ、懸命に相つとめております。
その座敷から、越後と佐渡を望む。また、二州を見るに余る越後平野を一望するという見晴らしの雄大さをたたえ、たまたま訪れていた富岡鉄斎が名付け、高潔清澄な画風をしのばせる気力に満ちた一筆「二州楼」の書を記しています。

豪快で墨痕淋漓、筆太に書かれた玄関の大扁額 明治31年9月 富岡鉄斎書